イタリア初めて観光ガイド

初めてイタリア観光するのでガイドブックをみているんだけど、よくわからない……というアナタのための観光ガイド

フィレンツェ観光のための「メディチ家」入門

免罪符を売り出した教皇、フォークをフランスへ伝えたお嫁さん、ガリレオ=ガリレイを保護……これらすべてに「メディチ家」が関係していたことをご存知ですか? ということでフィレンツェ観光を楽しむための「メディチ家」入門です。

それでは1つ目のキーワードから見ていきましょう。

メディチ家の概要

まずは、メディチ家の概要からはじめますね。メディチ家については、ガイドブックをみると、だいたい以下のような感じで載っているハズです。

メディチ家は、13世紀頃フィレンツェに商人として登場し、14世紀にはメディチ銀行を設立し大金持ちになった一族です。15世紀にはその財力でルネサンス芸術を保護し、16世紀にはフィレンツェの君主として君臨していました。

まぁ、ガイドブックに目を通した人はこのあたりまではなんとなく知っているかと(^_-)。では、いよいよ「メディチ家」を身近に感じることができる「キーワード」を見ていきましょう。

免罪符を売り出した教皇は、メディチ家

ではまず「免罪符を売り出した教皇の出身はメディチ家」について見ていきましょう。

メディチ家は、一族からなんと2人のローマ教皇(=キリスト教会のトップ)を世に送り出しています。一商人からはじまった一族が、キリスト教会トップである「ローマ教皇」を世に送り出したこと自体がスゴイですよね(^_^;)。

それに加えて、さらに中学や高校の歴史の教科書に出てくる「免罪符(めんざいふ)を売り出してお金をあつめた教皇」もメディチ家だった……というわけです。こちらはあまり名誉なことではないですけどね(;・∀・)

ところで「免罪符(めんざいふ)」ってわかりますか? 「罪を犯しても、ざんげして、教会にお金を払えばゆるすよっていう証明書」です。なんだかちょっと理不尽ですよね(;一_一)

その免罪符(めんざいふ)を販売することによってお金を集めようとしたしたわけは……「メディチ家出身のローマ教皇が、とにかく世俗的な贅沢が大好きで浪費しすぎゃったこと」が理由です。

たとえば……当時は荒廃してしまっていたローマを、メディチ家があるフィレンツェのように文化的な街にしようとしました。また教皇の住まいであるローマのサン=ピエトロ大聖堂を新しく建て替えたりしました。その写真がこちら。

その他にも毎日宴会をしたりなどなど、いろいろ浪費してしまって、ローマ教皇3人分の収入を一人で使いこんでしまったとのこと(≧◇≦)。

とまぁ、その穴埋めをするために「免罪符(めんざいふ)」を売り出したわけですが……そんな理不尽なことは当時の人たちにも受け入れがたく、中学・高校の歴史でならった「宗教改革」へとつながっていくことになります。

ちなみに教皇の名前は「レオ10世」といいます。

フォークをフランスへ伝えたメディチ家

フォークをフランスへ伝えたのがメディチ家だったというのをご存知ですか?

1533年に、フランスの王様のところへいったメディチ家のお嫁さんが、フォークをフランスへはじめて伝えました。

『えっ? じゃあ、フランスではそれまで「フォーク」の代わりはどうしていたの?』となりますよね。

中世の食器にはフォークはなかった。みな自分のナイフ、スプーン、パン切れ、手の指などを使って、とてもお行儀よく食べた。
中世ヨーロッパ入門 アンドリュー・ラングリー 日本語版監修 池上俊一 あすなろ書房

手の指……ま、ま、まじですか(@_@;)

しかも「フォーク」だけでなく、「フランス料理」を今のように洗練された料理にしたのもこの「メディチ家のお嫁さん」と「メディチ家の専属料理人」だったのです。

ちなみに、このお嫁さんの名前は「カテリーナ」といいます。フランス語名は「カトリーヌ・ド・メディシス」です。

ガリレオ=ガリレイを支援したメディチ家

宗教裁判にかけられて「それでも地球は動いている……」と言ったことで有名な「ガリレオ=ガリレイ」という人を覚えていますか? 地球が太陽の周りをまわっているという現代では当たり前のことを主張して、教会に宗教裁判にかけられて、有罪になってしまい、フィレンツェで自宅監禁になったイタリアの天文学者です。

ちなみに「それでも地球は動いている……」と言ったのは、あとから付け加えられた言葉です。さすがに裁判中にそんなこと言ったら命がなかったかと(@_@;)……。

話は戻って……このガリレオさんを支援したのもメディチ家でした。メディチ家の人たちへ「数学や哲学を教える個人教授」をしたことがきっかけで、メディチ家当主たちと仲良くなり、支援してもらっていました。

宗教裁判でローマで有罪判決を受けた直後に牢屋(ろうや)に入れられずに、ローマにあるメディチ家の別荘に移動できたのも、メディチ家のおかげでした。

さらにガリレオさんが死ぬまで、そして死んでからもガリレオさんに関連する人たちを、いろいろとメディチ家は援助していました。

ちなみにそのときのメディチ家当主は「コジモ2世」とその子供である「フェルディナンド2世」です。

ガリレオさんは、今はフィレンツェのサンタクローチェ教会で安らかに眠っています。正面からの写真がみたい(≧◇≦)……みなさんはぜひ行ってくださいネ。

まとめ

「免罪符」「フォーク」「ガリレオ=ガリレイ」と「メディチ家」との関係についてお伝えしましたがいかがでしたか? 我々の知っている歴史や身近なモノに実はメディチ家が深く関係していたんですね。そんなメディチ家を感じながら、フィレンツェの観光を楽しんできてくださいネ。ちなみに冒頭で紹介しました以下の写真は、メディチ一族が眠るサン・ロレンツォ教会です。