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知る人ぞ知る!ヴェネツィアの鐘楼とガリレオと望遠鏡との関係

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ヴェネツィア

サンマルコ寺院の前、小広場に面して立っている高さ96.8mの鐘楼(しょうろう) と ガリレオ・ガリレイ と 天体望遠鏡 との関係を知っていますか?

  1. 天文学者ガリレオ・ガリレイは、ヴェネツィアの鐘楼(しょうろう)に登り、天体望遠鏡の改良 & 実験をして、当時タブーだった地動説が正しいことを確認しました。
  2. ただし、「敵の軍艦を、いち早く見つけることができる兵器の実験をさせてください」と役人達にウソを言って、実験していました。

ということで、ガイドブックには載っていない&知る人ぞ知る、ヴェネツィアの鐘楼この「鐘楼(しょうろう)」と「ガリレオ・ガリレイ」と「天体望遠鏡」とのお話をしますね。

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鐘楼の目的


カナレット作 Bucentaur’s return to the pier by the Palazzo Ducale [パブリックドメイン], via Wikimedia Commons
小広場にそびえ立つ鐘楼の目的は「遠くを見渡し、いかに早く敵の軍艦を発見できるか」でした。

海軍国家でもあったヴェネツィア共和国にとっては、「鐘楼(しょうろう)」はなくてはならないものだったのです。

というわけで、この鐘楼(しょうろう)は、西暦888年頃には、すでに建てられていました。

鐘楼での天体望遠鏡の実験

時代はくだり、1609年、ガリレオ・ガリレイ(以下、ガリレオ)は、やっとのことで、鐘楼(しょうろう)での天体望遠鏡の実験に、こぎつけました。

ドメニコ ティントレット(Domenico Tintoretto)作 (1605-1607年ころの)ガリレオ [パブリックドメイン], via Wikimedia Commons

『やっとのことでって、なぜ?』と、思いますよね。

望遠鏡での実験をする10年前の1592年。若き日の天文学者ガリレオは、ヴェネツィア共和国にある大学で数学教授をしていました。

ガリレオは、当時ではタブーとされていた「地球が太陽の周りをまわる地動説」に大変興味を持っていました。

なのでガリレオは天体望遠鏡を改良して実験して、その地動説の証明をしたかったのです。

とはいえ、当時タブーとされていた「地動説」。

ガリレオが「地動説を証明するため、天体望遠鏡の実験をさせてください」といっても、ヴェネツィア共和国の役人たちが「いいよ」と、OKするわけがありません。

そこでガリレオはヴェネツィア共和国の役人に「敵の軍艦を、いち早く見つけることができる兵器の実験をさせてください」と言って、1609年、やっとのことで、鐘楼(しょうろう)での天体望遠鏡の実験にこぎつけました。

その後、ガリレオは天体望遠鏡を倍率を32倍まで上げる改良に成功し、その天体望遠鏡でちゃくちゃくと実験していきました。

そして「地球が太陽の周りをまわる地動説」が正しいことを確信しました。

地動説を確信したガリレオのその後

地動説を確信したガリレオはその後、この「地動説」のために、ローマ教会により宗教裁判にかけられます。

その宗教裁判の時、ガリレオが言ったとされる「それでも地球は動いている」という言葉(←実際には言っていないそうです)が、われわれがガリレオについて一番知っていることではないでしょうか。

そして「地動説の放棄」を迫られ、自宅に幽閉され、そこで生涯を終えます。

ユストゥス・サステルマンス(Justuster Sustermans)作 (1636年ころの)ガリレオ, [パブリックドメイン], via Wikimedia Commons

そして約350年の時が経過し……1992年、ローマ教会は、ガリレオの名誉回復をしました。

まとめ

  1. 天文学者ガリレオ・ガリレイは、ヴェネツィアの鐘楼(しょうろう)に登り、天体望遠鏡の改良 & 実験をして、当時タブーだった地動説が正しいことを確認しました。
  2. ただし、「敵の軍艦を、いち早く見つけることができる兵器の実験をさせてください」と役人達にウソを言って、実験していました。

サンマルコ寺院の前、小広場に面して立っている高さ96.8mの鐘楼(しょうろう)に昇った時、この「鐘楼(しょうろう)とガリレオ・ガリレイと天体望遠鏡の関係」を思い出しながら、ヴェネツィアの街を一望してみてください。

きっと時代を超えた素晴らしいヴェネツィアの風景が、あなたの目の前に広がっているはずです。

では、ciao ciao(チャオ チャオ)~(=またね~)

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