フィレンツェ観光で役立つプチ歴史

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フィレンツェ

フィレンツェ観光のときに、ちょっと役立つ&知っておきたいプチ歴史をまとめました。

「花の都といわれる理由は?」「メディチ家って?」などなど、フィレンツェ観光の「基本のキ」を歴史から見てみましょう。

少し長くなりますので、ゆっくり時間をかけて、少しずつ読んでいってくださいネ。

それではさっそく花の都フィレンツェのはじまりを見ていきましょう。

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花の都フィレンツェのはじまり

紀元前1200年頃、現在フィレンツェがある場所には、エトルリア人(と呼ばれる人)たちが住んでいました。

紀元前3世紀頃になると、フィレンツェがあるイタリア半島中部は、ローマ国が支配するようになりました。

それにともなって、フィレンツェに住んでいたエトルリア人たちもローマ国の支配下に入りました。

※ 話は少しそれますが……ローマ国とは、紀元前600年頃に古代イタリア人がローマに作った国家です。古代イタリア人とは、紀元前1000年頃にイタリア半島のさらに北方にある地域からイタリア半島に移動してきた人たちです。

紀元前59年頃になると、ローマ国の皇帝が、退役軍人(=軍人の役目を終えた人)たちに「フィレンツェに土地をあげるから、街をつくってよ!」と言います。

そこで退役軍人たちは、フィレンツェに街をつくりました。このとき、彼らは街の名前を考えました。

「この街は、花が咲き盛るように繁栄して欲しいなぁ……そうだ、花の女神フローラの街 を意味する フロレンティア にしよう!」となりました。

こうして街の名前は「フロレンティア」と名づけられました。

そして「フロレンティア」と名づけられた街は、その後「フィレンツェ」と言葉が変化し、現在にいたっています。

つまり「花の女神フローラの街=フロレンティア→フィレンツェ」となったわけです。これが「花の都フィレンツェ」といわれる由縁(ゆえん)です。

こうして、花の都フィレンツェの歴史がはじまりました。

この時代フィレンツェの中心は「フォルム」と呼ばれる長方形の広場でした。そこで、政治・宗教・経済などが行われていました。

その「フォルム」は、中世・近世と長い年月を経るうちに姿が変わってしまっていました。

そして19世紀になって、その「フォルム」があった位置に建てられたのがこちらのレップリカ広場です。

話は戻って、ローマ国の支配下にあったフィレンツェは商業・経済が繁栄し、それが3世紀ごろまで続きます。

戦乱の時期を乗り越え、フィレンツェに共和国が誕生

5世紀ごろになると、フィレンツェは戦乱の時期を迎えます。

イタリア半島に北から(ゴート族・ランゴバルド族といった)異民族が侵入してきて、その異民族がフィレンツェにもやって来たからです。支配者はそれらの異民族になり、繁栄も一時的にストップしてしまいます。

その後9世紀になると、ローマ教皇からお墨付(すみつ)きをもらった神聖ローマ帝国(場所はドイツ・フランスあたりです)が、フィレンツェの支配者になります。そのもとで再び商業・経済が繁栄していきます。

商業・経済が発展していくと「なんか俺たち自分たちの政治(=自治)のことは、自分たちでできそうじゃね? 支配者は、いらないんじゃね? (by当時の若者風)」といった感じになりました。

そして12世紀にフィレンツェの人たちは「俺たち自治都市国家になるよぉー」と宣言し、フィレンツェ共和国を誕生させます。数年後には、神聖ローマ皇帝が正式に自治都市国家として認めました。

自治都市国家となったフィレンツェ共和国は、商業・経済がさらに発展し、織物業や銀行業が盛んになっていきました。

フィレンツェで公共建築物がつくられはじめる

13世紀になるとフィレンツェ共和国は、さらに豊かな国に発展しました。

豊かになってくると、『オレたちの街フィレンツェをカッコよくしたいので公共建築物をつくろうよ!』となりました。

お金持ちの商人たちも「なんか立派な建築物を作って、有名になろうかな」という感じで私的な建築物もつくられはじめます。

そして今日では世界的に有名な教会・聖堂・政庁舎がつくられはじめました。たとえば……

サンタ・クローチェ教会、、、

管理人はここに行きそびれました……。ここにはルネサンス芸術の天才ミケランジェロさんのお墓があります。

サンタ・マリア・ノッベラ教会、、、

管理人が行った時は、工事中みたいでした……

サンタ・マリア・デルフィオーレ大聖堂

イタリア旅行のパンフレット写真といえばコレですね。Σ(・ω・ノ)ノ!

ベッキオ宮殿

もともとフィレンツェ共和国の政庁舎とつくられました。現在でもフィレンツェ市の庁舎として立派に機能しています。すごい(゚д゚)!

いずれも、数百年単位の長い年月をかけてつくられ今の姿にいたっています。

メディチ家登場とルネサンス

14世紀おわりにフィレンツェの歴史に欠かせない「メディチ家」が登場します。

もともとローマで銀行業をやっていたメディチ家は、フィレンツェでも銀行業をはじめると大成功します。そして、莫大な富を得ます。

同じころフィレンツェ全体では、古代ギリシア・古代ローマの魅力に取りつかれた人が続出し、ルネサンスがはじまります。

「ルネサンスの幕開け」です。サンタ・マリア・デルフィオーレの丸天井が完成したのもこの時期です。

ちなみに丸天井を完成させたのはブルネッレスキさんです。

そして莫大な富を得た「メディチ家」と「ルネサンスの幕開け」とが結びつきます。

メディチ家には古代ギリシア・古代ローマ研究に熱心だった人がいました。

その影響でメディチ家が芸術家たちのスポンサーとなると、ルネサンスが一気に開花し、最盛期を迎えました。

ルネサンスの3大巨匠であるダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロが活躍したのもこの時代です。

中学や高校の歴史の教科書に写真で載っていて、あなたも一度は目にしたことがあろうボッティチェッリさんの「ヴィーナスの誕生」「春(プリマベーラ)」が描かれたのもこの時代です。

この時代、フィレンツェはまだ共和国でした。共和国のシンボルとするためにミケランジェロがダビデ像をつくっています。つくった「ダビデ像」はベッキオ宮殿前の広場におかれました。

※現在はレプリカが置かれています。

しかし次第にメディチ家が支配するようになっていきます。

メディチ家による支配

16世紀になると、フィレンツェ共和国は、実質的にメディチ家が支配するようになっていました。

そこに神聖ローマ帝国皇帝という偉い人から「メディチ家さんに"フィレンツェ公"という称号(しょうごう)をさずけるから、君主としてフィレンツェをしっかり治めてくれ」とメディチ家がお願いされます。

こうしてフィレンツェは「フィレンツェ共和国」から「メディチ家を君主とするフィレンツェ公国」となりました。

さらに続いて、ローマ教皇からは「メディチ家に"トスカーナ大公"という称号(しょうごう)を授けるよ。さらにいっそう君主として頑張ってね」と言われ、国名をトスカーナ大公国となりました。

こうしてフィレンツェは、商人たち街であった「共和国」から、メディチ家が支配する「君主国」へと変わってしまったのでした。

芸術作品も「共和国のため」にではなく、「メディチ家のため」に造られるように変わります。例えば……

これはメディチ家の(とある人の)結婚式を祝うために作られた「ネプチューンの噴水」です。ベッキオ宮殿前の広場にあります。

メディチ家のオフィス「ウフィッツ宮殿」がつくられたのもこの時代です。このウフィッツ宮殿は、ウフィッツィ美術館の前身です。

メディチ家の「ウフィッツィ美術館」から「ヴェッキオ橋」の上をとおり、さらにメディチ家の「ピッティ宮殿」にまでつながっている屋根付き廊下「ヴァザーリーの回廊(かいろう)」ができたのもこの時代です。当然メディチ家のために造られました。

写真中央付近の「ウフィッツィ美術館」の出口から、川に沿って屋根付き廊下がのびてきて……

「ヴェッキオ橋」の上をとおり……

こちらの「ピッティ宮殿」までいけるようになっています。

メディチ家の衰退と終焉と財宝

17世紀になるとメディチ家も衰退をはじめ、18世紀には後継者が途絶え、終焉を迎えます。14世紀からこの時までにメディチ家には膨大な芸術作品が集まっていたわけですが……

メディチ家の最後は「アンナ・マリア」という女性でした。

このアンナ・マリアが「メディチ家の財宝は、すべてフィレンツェに残してね」と、次にフィレンツェを治めることになったオーストリアのロレーナ家と約束をしました。

そのアンナ・マリアさんが住んでいた場所が、先ほどもご紹介したこちらの「ピッティ宮殿」です。

現在、フィレンツェ観光にいくと街のあちらこちらに素晴らしい芸術作品をみることができます。

「歴史的芸術作品で埋めつくされたフィレンツェ」を残してくれたのはこのメディチ家最後の相続者「アンナ・マリア」のおかげだったんですね。

その後のフィレンツェ

その後、18世紀にトスカーナ大公爵の称号をメディチ家から引き継いだオーストリアのロレーナ家によってフィレンツェは支配されます。

この間、一時的にフランス(のナポレオンの妹)に支配された時もありました。

さらにイタリア統一運動によってできたイタリア王国の首都を経て、現在のイタリア共和国へと至っています。

まとめ

フィレンツェ観光のときに、ちょっと役立つ&知っておきたいプチ歴史はいかがでしたか?

「花の都といわれる理由は?」「メディチ家って?」などなど、観光キーワードを歴史からみると、より一層フィレンツェを楽しむことができると思います。

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