観光ガイドブックに載っていない「メディチ家」入門

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フィレンツェ

免罪符を売り出した教皇、フォークをフランスへ伝えたお嫁さん、ガリレオ=ガリレイを保護……これらすべてに「メディチ家」が関係していたことをご存知ですか?

ということで観光ガイドブックに載っていない&フィレンツェ観光を100倍楽しむことができるようになる「メディチ家」入門です。

メディチ家の概要

まずは、メディチ家の概要からはじめますね。メディチ家については、観光ガイドブックをみると、だいたい以下のような感じで載っているハズです。

メディチ家は、13世紀頃フィレンツェに商人として登場し、14世紀にはメディチ銀行を設立し大金持ちになった一族です。15世紀にはその財力でルネサンス芸術を保護し、16世紀にはフィレンツェの君主として君臨していました。

まぁ、ガイドブックに目を通した人はこのあたりまではなんとなく知っているかと(^_-)。でも、ぶっちゃけ『だからなに?』って感じではありませんか?

ということで「メディチ家」をもっと身近に感じることができる「キーワード」を見ていきましょう。

免罪符を売り出したメディチ家出身の教皇

中学・高校の歴史でならった「免罪符」という言葉を覚えていますか?

その免罪符を売り出したのが、メディチ家出身の教皇「レオ10世」です。

Raphael作 [パブリックドメイン], via Wikimedia Commons

では、お話をはじめますね…

メディチ家は、一族からなんと2人のローマ教皇(=キリスト教会のトップ)を世に送り出しています。

一商人からはじまった一族が、キリスト教会トップである「ローマ教皇」を世に送り出したこと自体がスゴイですよね(^_^;)。

それに加えて、さらに中学や高校の歴史の教科書に出てくる「免罪符(めんざいふ)を売り出してお金をあつめた教皇」もメディチ家だった……というわけです。

こちらはあまり名誉なことではないですけどね(;・∀・)

ところで「免罪符(めんざいふ)」ってわかりますか?

「罪を犯しても、ざんげして、教会にお金を払えばゆるすよっていう証明書」です。なんだかちょっと理不尽ですよね(;一_一)。

こちらが(教科書にも載っている)免罪符を販売している様子です。

Pvasiliadis作 [パブリックドメイン], via Wikimedia Commons

その免罪符(めんざいふ)を販売することによってお金を集めようとしたしたわけは



「メディチ家出身のローマ教皇レオ10世が、とにかく世俗的な贅沢が大好きで浪費しすぎゃったこと」が理由です。

たとえば……当時は荒廃してしまっていたローマを、メディチ家があるフィレンツェのように文化的な街にしようとしました。

また教皇の住まいであるローマのサン=ピエトロ大聖堂を新しく建て替えたりしました。その写真がこちら。

その他にも毎日宴会をしたりなどなど、いろいろ浪費してしまって、ローマ教皇3人分の収入を一人で使いこんでしまったとのこと(≧◇≦)。

とまぁ、その穴埋めをするために「免罪符(めんざいふ)」を売り出したわけですが……

そんな理不尽なことは当時の人たちにも受け入れがたく、中学・高校の歴史でならった「宗教改革」へとつながっていくことになります。

フォークをフランスへ伝えたメディチ家のお嫁さん

フォークをフランス(をはじめドイツ・イギリスなどの西ヨーロッパ)へ伝えたのは、メディチ家からフランスへいったお嫁さんでした。カテリーナといいます。

[パブリックドメイン], via Wikimedia Commons

では、お話をはじめますね。

1533年に、フランスの王様のところへいったメディチ家のお嫁さん「カテリーナ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ」が、フォークをフランスへはじめて伝えました。フランス語名は「カトリーヌ・ド・メディシス」です。

『えっ? じゃあ、フランスではそれまで「フォーク」の代わりはどうしていたの?』となりますよね。

中世の食器にはフォークはなかった。みな自分のナイフ、スプーン、パン切れ、手の指などを使って、とてもお行儀よく食べた。

中世ヨーロッパ入門 アンドリュー・ラングリー 日本語版監修 池上俊一 あすなろ書房

手の指……ま、ま、まじですか(@_@;)

しかも「フォーク」だけでなく、「フランス料理」を今のように洗練された料理にしたのもカテリーナがお嫁入りの時に連れて行った「メディチ家の専属料理人」だったのです。

ガリレオ=ガリレイの命を救ったメディチ家

宗教裁判にかけられて「それでも地球は動いている……」と言ったことで有名な「ガリレオ=ガリレイ」という人を覚えていますか?

そのガリレオ=ガリレイの命を救ったのも、メディチ家でした。メディチ家のコジモ2世とフェルディナンド2世の親子です。

親のコジモ2世、、、

ユストゥス・サステルマンス(Justuster Sustermans)作 [パブリックドメイン], via Wikimedia Commons

子のフェルナンド2世、、、

ユストゥス・サステルマンス(Justuster Sustermans)作 [パブリックドメイン], via Wikimedia Commons

親子なので似ていますね(笑)

では、お話をはじめますね。

宗教裁判にかけられて「それでも地球は動いている……」と言ったことで有名なガリレオ=ガリレイ

ユストゥス・サステルマンス(Justuster Sustermans)作 (1636年ころの)ガリレオ, [パブリックドメイン], via Wikimedia Commons

彼は、地球が太陽の周りをまわっているという現代では当たり前のことを主張して、教会に宗教裁判にかけられて、有罪になってしまい、フィレンツェで自宅監禁になったイタリアの天文学者です。


ちなみに「それでも地球は動いている……」と言ったのは、あとから付け加えられた言葉です。さすがに裁判中にそんなこと言ったら命がなかったかと(@_@;)……。

話は戻って……このガリレオさんを支援したのがメディチ家でした。

メディチ家の人たちへ「数学や哲学を教える個人教授」をしたことがきっかけで、メディチ家当主たちと仲良くなり、支援してもらっていました。

宗教裁判でローマで有罪判決を受けた直後に牢屋(ろうや)に入れられずに、死刑にならずに、ローマにあるメディチ家の別荘に移動できたのも、メディチ家のおかげでした。

さらにガリレオさんが死ぬまで、そして死んでからもガリレオさんに関連する人たちを、支援していたのもメディチ家だったのです。

ガリレオさんは、今は、、、

フィレンツェのサンタクローチェ教会で安らかに眠っています。

正面からの写真がみたい(≧◇≦)……みなさんはぜひ行ってくださいネ。

まとめ

観光ガイドブックに載っていない「免罪符」「フォーク」「ガリレオ=ガリレイ」と「メディチ家」との関係についてお伝えしましたがいかがでしたか?

我々の知っている歴史や身近なモノに実はメディチ家が深く関係していたんですね。

ちなみに冒頭で紹介しました以下の写真は、、、

観光名所のメディチ一族が眠るフィレンツェのサン・ロレンツォ教会とメディチ家礼拝堂です。

そんなメディチ家を感じながら、フィレンツェの観光を100倍楽しんできてくださいネ。

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