ミラノのスフォルツァ城は、レオナルド・ダ・ヴィンチの勤務先だったことをご存じでしょうか?
勤務先で、祝典の演出家、内部装飾家、画家、他さまざまな仕事をしていました。
また勤務先では、一流の文化人との交流もできたため、ダ・ヴィンチは、斬新なアイデアを次々と生み出しました。
ダ・ヴィンチが「万能の天才」と呼ばれることになるキッカケにもなった職場環境でした。
スフォルツァ城内に、ダ・ヴィンチの工房
ミラノのスフォルツァ城内には、ダ・ヴィンチの工房がありました。
というのも、時の権力者ルドヴィーコに採用されたダ・ヴィンチは、スフォルツァ城内に、工房を与えらたからです。
つまり、ダ・ヴィンチの勤務先は、スフォルツァ城だったというワケです。
斬新なアイデアを生み出す職場環境
さらに、勤務先となったスフォルツァ城内の工房は、ダ・ヴィンチにって、斬新なアイデアを次々と生み出す職場環境でした。
というのも、一流の文化人が数多く集まっていて、交流することができたからです。
芸術家はもちろん、数学者や建築家、医者、詩人、俳優など、さまざまな職業で一流と呼ばれる人が、時の権力者ルドヴィーコに採用され、スフォルツァ城内に集っていました。
それらの一流の文化人との交流ができたため、ダ・ヴィンチは斬新なアイデアを次々と生み出しました。
それら斬新なアイデアは、手稿とよばれるメモに記載されています。
ダ・ヴィンチが「万能の天才」と呼ばれることになるキッカケにもなった職場環境でした。
勤務先での仕事内容
では、勤務先のスフォルツァ城内の工房で、どんな仕事をしていたのか、簡単に見てみましょう。
ダヴィンチの仕事は、多岐にわたり、数多くあり、すべてを記載するのも大変なのですが、そのなかでも、有名なモノを3つ紹介しますね。
- 祝祭の演出家
- 内部装飾家
- 画家(新しい絵画スタイルを確立)
では、少し補足しますね。
祝典の演出家
祝典の演出家として、活躍しました。
祝典では舞台劇などが行われます。その劇で使用する、舞台装置をつくったり、演者の衣装デザインをしたりする演出家として活躍しました。
有名なのは、スフォルツァ城内で行われた祝典の舞台劇「天国の祝祭」。
この祝典の舞台劇「天国の祝祭」は、大成功をおさめます。
その結果、祝典の演出家として、多くをまかされるようになっていきました。
内部装飾家
ダヴィンチは、スフォルツァ城の内部装飾家としても活躍します。代表的なのはスフォルツァ城の中で一番大きな部屋の「アッセの間」の内部装飾です。
装飾はレオナルド独特のものです。彼は四方のカベから生えた桑の木が枝を生い茂らせ、天上面全体を枝葉が覆う一種のだまし絵を描いています。
よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ 池上英洋 筑摩書房 P96 – 97
:
≪中略≫
:
植物が描き出す不思議なデザインに当時のレオナルドが心奪われていたことがわかります
自然を探求するダヴィンチの成果が、あらわれています。
画家(新しい絵画スタイルを確立)
本業の画家としても、活躍しだします。しかも斬新なアイデアで、新しい絵画スタイルを確立していきます。
新しい絵画スタイルを具体的にいうと、以下の通りです。
- スフマート技法(※)の発展
- 光と影の表現
- 三角形の構図
※スフマート技法とは、深み、ボリュームや形状の認識を造り出すため、色彩の透明な層を上塗りする絵画の技法です。
その新しい絵画のスタイルで、さらに、権力者ルドヴィーコの若く美しい恋人(というか愛人)を描いたりしていきました。
こららの絵には、ダ・ヴィンチが研究していた幾何学、解剖学の研究結果も、反影されています。
ちなみにこれらの絵画の素晴らしさに気がついた時の権力者ルドヴィーコが、後に傑作といわれる「最後の晩餐」を、ダヴィンチに発注することにつながっていきます。
さいごに
というわけで、ミラノのスフォルツァ城は、レオナルド・ダ・ヴィンチの勤務先だったのです。
勤務先で、祝典の演出家、内部装飾家、画家、他さまざまな仕事をしていました。
また勤務先では、一流の文化人との交流もできたため、ダ・ヴィンチは、斬新なアイデアを次々と生み出しました。
ダ・ヴィンチが「万能の天才」と呼ばれることになるキッカケにもなった職場環境でした。
参考文献
- 天才発明家ものがたり レオナルド・ダ・ヴィンチ 中央公論社