J.S.A.ワインエキスパートの管理人「う~坊」です。
ミラノで、1498年に絵画の傑作「最後の晩餐」を完成させたレオナルド・ダ・ヴィンチへの報酬は、なんと(ワイン用の)ぶどう園だったことをご存知でしょうか?
ぶどう園は「レオナルドのぶどう園」といいます。残念ながら残っていないのですが…
ただ、その報酬となった「レオナルドのぶどう園」を、現代になって研究し、その成果をまとめてある博物館「レオナルドのぶどう園」へは、ぜひ行ってみたい!(※ただし現在は、一時閉館中)
傑作「最後の晩餐」の報酬は、ぶどう園
1498年に絵画の傑作「最後の晩餐」を完成させたレオナルド・ダ・ヴィンチへの報酬は、なんと(ワイン用の)ぶどう園でした。「レオナルドのぶどう園」といいます。
報酬を支払ったのは、「最後の晩餐」の注文者で、時の権力者ルドヴィーコ・スフォルツァ。
では、「レオナルドのぶどう園」が、どんなブドウ園だったのか、少し補足しますね。
大きさ
報酬となった「レオナルドのぶどう園」の大きさは、1haほどだったといいます。1haは、縦100m × 横100mくらいの大きさです。
イメージとしては、サッカー場の1.5倍、野球場と同じくらいの大きさの土地になります。
場所
「レオナルドのぶどう園」があった場所は、「最後の晩餐」が描かれているサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会のすぐ隣にひろがる、ミラノの(赤枠の)サン・ヴィットーレ地区だと言われています。
1900年代初頭のイタリアの建築家・美術史家・政治家であり、レオナルド・ダ・ヴィンチの研究家でもあったルカ ベルトラミ。彼は、1920年に「レオナルドのぶどう園」は、サン・ヴィットーレ地区内の以下の場所にあったのではないかと推定しました。
1920年当時、まだ存在していた「レオナルドのぶどう園」付近のぶどう樹の写真が、こちらです。
残念ながら、その後の区画整理で、「レオナルドのぶどう園」付近のぶどう樹は、無くなってしまいましたが…
育てていたのは、白ブドウ
「レオナルドのぶどう園」で、ダ・ヴィンチが、育てていたブドウは白ブドウで、品種は「マルヴァジア ディ カンディア アロマティカ」ではないかと言われています。
このぶどう品種で、ワインをつくると、どんなワインになるかというと、
マルヴァジア・ディ・カンディア・アロマティカは、トロピカルフルーツやスパイスの穏やかなアロマティックな香りを持つワインとなります。
引用:マルヴァジア・ディ・カンディア・アロマティカ|ブドウ品種辞典|ワイン|日欧商事(JET)
とのことです。飲みたい!
もちろん、他人任せにせず、ダ・ヴィンチがミラノにいる時には、自分でちゃんと育てていました。
死の間際まで所有
ダ・ヴィンチは、この「レオナルドのぶどう園」を、非常に大切にしていて、死の間際まで、その土地を所有していました。
そして自分の死後は、弟子のサライと、使用人バッティスタで、「レオナルドのぶどう園」を半分ずつ分けるようにと、遺書に残しました。
その後、多くの人の手に渡り、よくわからなくなっていたのですが…
研究成果をまとめた博物館「レオナルドのぶどう園」
現代に入り、「レオナルドのぶどう園」について、さまざまな研究がされるようになりました。
そしてそれらの研究成果は、博物館「レオナルドのぶどう園」にまとめられています。
ダヴィンチが所有していたぶどう園の名前と、博物館の名前が、同じなのでちょっとややこしいですが(笑)
博物館「レオナルドのぶどう園」の場所は、「最後の晩餐」が描かれているサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会のすぐ横(の道を挟んで反対側)にあります。
博物館「レオナルドのぶどう園」の位置は、ダヴィンチが所有していた「レオナルドのぶどう園」とは、若干(かなり?)ちがいますが…
以前は一般公開されていたのですが、残念ながら、現在はされていません。
でも再開したら、ぜひ行ってみたい!
まとめ
というわけで、1498年に絵画の傑作「最後の晩餐」を完成させたレオナルド・ダ・ヴィンチへの報酬は、なんと(ワイン用の)ぶどう園でした。「レオナルドのぶどう園」といいます。
報酬を支払ったのは、「最後の晩餐」の注文者で、時の権力者ルドヴィーコ・スフォルツァ。
野球場と同じくらいの大きさの土地で、大切にしていて、死の間際まで所有していました。
その報酬となった「レオナルドのぶどう園」を、現代になって研究し、その成果をまとめてある博物館「レオナルドのぶどう園」が再開したら、ぜひ行ってみたい!
参考文献