絵画鑑賞が超初心者&入門者の管理人です。今日は東京都美術館で開催されている「ティツィアーノとヴェネツィア派展」でティツィアーノが1543年に描いたという「教皇パウルス3世の肖像」の「教皇パウルス3世」について調べてみました。
Titian [Public domain or Public domain], via Wikimedia Commons
ちなみに本来はこの「教皇パウルス3世の肖像」はイタリアのナポリにある「カポディモンテ美術館」にあります。
それでは、まず教皇パウルス3世がどんな時代に生きていたかの概要を見てみますね。
教皇パウルス3世の概要
教皇パウルス3世は、1534年-1549年にローマ教皇として、カトリック教会の頂点にいた人です。
その頃のイタリアは、フィレンツェではじまったルネサンスが花開き、ローマ、ヴェネツィアなどイタリア国内はもちろん、ヨーロッパ中にルネサンスが拡がっていた時期です。
ただ良いことばかりではなく、ローマ=カトリック教会の腐敗(ふはい)に対し「宗教改革」が全盛になったり、神聖ローマ帝国(≒ドイツ)によってローマがめちゃくちゃにされたり、結構大変な時代でした。
そんな時代に教皇をやっていたのがパウルス3世です。
では、もう少し「パウルス3世」がどんな教皇だったかについて見ていきましょう。
対抗宗教改革をすすめた教皇
いきなりちょっと難しい話になりますが……次の説明につながりますので、よければこのまま読んでいただけると助かります<(_ _)>
話を戻して……パウルス3世は「対抗宗教改革(=反宗教改革)」をすすめた教皇です。「対抗宗教改革(=反宗教改革)」を説明しますと……
っとその前に、まず「宗教改革」を確認してからにしましょう。「宗教改革」を超簡単にいうと、「ローマ教皇を頂点とするローマ=カトリック教会は、かね(金)・政治権力・不正などにまみれた教会だ! 真のキリスト教はそうじゃやない!」という非難および改革運動です。
その「宗教改革」に対し、「対抗宗教改革(=反宗教改革)」が起こります。対抗宗教改革(=反宗教改革)とは、教皇をはじめとするローマ=カトリック教会が『俺たちもこのままではちょっとまずいよなぁ。悪いことをやめて、襟(えり)を正そう。そしてもう一度、気持ちを新たにして布教していこう』という動きのことをいいます。
その時の教皇が「パウルス3世」です。
フランシスコ=ザビエルたちを認可した教皇
フランシスコ=ザビエルさんを覚えていますか? 中学校や高校の教科書で「日本にはじめてキリスト教を伝えた人」としてでてきます。名前は覚えていなくてもこちらの似顔絵に見覚えがある人はいっぱいると思います。
See page for author [Public domain], via Wikimedia Commons /フランシスコ・ザビエル像。17世紀初期に描かれた。神戸市立博物館所蔵。『中公バックス 日本の歴史 別巻2 図録 鎌倉から戦国』より。
説明はWikipediaのほうをどうぞ→フランシスコ=ザビエル Wikipedia
このフランシスコ=ザビエルさんが所属していたのが「イエズス会」という団体は、先ほど説明した「対抗宗教改革(=反宗教改革)」運動の先頭に立って活躍した団体です。そしてその「イエズス会」をローマ=カトリック教会の仲間として正式にみとめた教皇が「パウルス3世」です。
「対抗宗教改革(=反宗教改革)」運動の先頭に立って活躍して布教にはげんでいた団体イエズス会が、日本にもやってきたというわけだったんですね。
こうやって視点を変えてみると、パウルス3世は、日本とも縁がある教皇ですね。
まとめ
今日は東京都美術館で開催されている「ティツィアーノとヴェネツィア派展」で展示されている「教皇パウルス3世」について、ちょっと勉強してみました。
管理人には、「教皇パウルス3世」がフランシスコ=ザビエルさんとの関係で意外と日本とも縁があることにビックリでした(゚д゚)!
それではまた!
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